2011年9月6日:スイスフラン暴落

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日本円と並ぶ安全資産と見なされているスイスフランですが、実はかなりの頻度で記録的な大暴落をする通貨でもあります。近いところでは、2015年1月のスイスフランショックがありますが、その前には2011年にも暴落を記録しています。今回は、2011年のスイスフランの暴落についてみてみましょう。

絶対防衛ラインの指定と為替レートの暴落

2011年9月6日(火)の日本時間17時ごろ、スイスの中央銀行であるスイス国立銀行は「1ユーロ=1.20フランの最低為替レートを設定、これを下回る水準は容認せず、無制限の外貨購入の用意がある。為替ターゲットを『最大限の決意』で守る」とする為替レートの絶対防衛ラインを指定しました。実際にスイス国立銀行は市場で極めて大規模な為替介入を実施、2時間あまりでユーロ/スイスフラン(EUR/CHF)の為替レートは1千ポイント以上も上昇、1ユーロ=1.10フランから1.20フラン台まで暴騰することとなります。
強引とも言えるこの方針の裏には、大きく上下動して安定しないスイスフランの為替レートに対する中央銀行の苛立ちがあったと言われています。実際にスイスフランの値動きを見てみると、ユーロ圏の値動きに引っ張られる形で大きな上下動を繰り返し、とても安全資産とは言えない状況でした。この状況に対処するために2011年の為替レートの絶対防衛ラインの設定と、その直後の見せしめのような大規模介入がおこなわれたと考えられます。
この政策を主導したのは、ヘッジファンド出身の中央銀行総裁であるフィリップ・ヒルデブラント氏でした。トロント大学、オックスフォード大学などの著名な大学で学んだあと、学生グループの一員としてスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムに参加したことで銀行家に顔が知られ、1994年からヘッジファンドを中心に金融マンとしてのキャリアをはじめます。
2003年にスイス国立銀行に参加したときは「最年少の政策立案者」としてもてはやされましたが、その後為替介入をめぐるインサイダー取引疑惑が取り沙汰されたことで、この絶対防衛ラインの設定直後に辞任を余儀なくされています。

最終的に瓦解した絶対防衛ライン

さて、唐突に導入されたスイスフランの為替レートの絶対防衛ラインは、同じく唐突に終了することとなりました。絶対防衛ラインの指定によりスイスフランはユーロに対して高い状態が続いたことから、ユーロ圏と密接な関係があるスイス国内の製造業・観光業は大きな打撃を受けることとなりました。最終的に2015年度のスイスの経済成長率は1.8%から0.5%に下方修正されたことなどから、2015年1月に突如として絶対防衛ラインを撤廃、外国為替市場を混乱の渦に叩き込むこととなります。その影響は大きく、世界的に見ても有力なFX会社が払い戻しに耐えられず破綻や吸収合併の憂き目にあうなど、FX業界の再編をうながすこととなりました。
国内に限ってみても、FXCMが楽天証券に買収されるなど、取引シェアの更なる寡占化が進む原因となりました。

おわりに

「国際金融のトリレンマ」として知られているように、自由な資本移動と為替相場の安定、独立した金融政策の3つは並立しないとされています。2011年のスイス国立銀行の絶対防衛ラインの指定とその撤廃は、この国際金融のトリレンマに挑み、あえなく敗れた記録と言えます。アベノミクスと大規模な量的緩和をおこなっている黒田日銀も、その先行きには注目する必要があるのかもしれません。